FEH三部5章のアルフォンス×フィヨルムSS。恋愛未満のアルフィヨです。
【父の教え 姉の教え】

 アスク国王グスタフ戦死。

 その報にアスクの王宮は静まり返った。
 国内の混乱を避けるために国民にグスタフの死は伏せられているが、城内のあちこちではアスクの支えであったグスタフの死を嘆き、すすり泣く声が聞こえてきている。
 偉大な王の死に悲嘆し、静寂に包まれる城内を早足で歩く一人の少女の姿があった。
 少女の名はフィヨルム。特務機関ヴァイス・ブレイヴに籍を置く、雪と氷の国ニフルの第二王女だ。

(グスタフ陛下。どうか安らかに……)

 アスク国王の死は、まだアスクに身を置いて日が浅いフィヨルムも悼んでいた。
 一度だけであるが、フィヨルムはグスタフと言葉を交わしたことがある。
 それはニフルがアスクと同盟関係を結んだ調印式の夜に行われた宴の時。
 グスタフはアスクの大地をスルトが放った不滅の炎から救った氷の姫に、深く感謝した。
 姫の力により多くの民が救われたと言い、その恩に報いるために復興の支援を惜しまないことを誓ってくれた。
 ムスペルとの戦いで亡くなった母や姉。ニフルの民達にも哀悼の意を示し、「最後までよく戦われた」と、家族を失った悲しみに暮れる間もなく戦い続けたフィヨルムを労った。
 幼い頃に亡くした父を思い出させるグスタフの頼もしく暖かな言葉に、フィヨルムは安堵の思いを抱いた。
 兄のフリーズも、アスク国王のことを信頼しているようだった。
 そうでなければ、いくらムスペルとの戦いに力を貸してくれた特務機関に恩を返すためとはいえ、大事な妹が異界に赴くことを許すはずがない。

(でもまさか、グスタフ陛下が病に冒されていたなんて……)

 戦いの後、王妃ヘンリエッテからグスタフの病のことを聞いたフィヨルムは驚きを隠せなかった。
 調印式の夜も今までも。グスタフは一切病を患っている様子を見せなかった。
 しかしグスタフ自身は己の命が長くないことを悟り、妻にもそのことを告げていたぐらいなのだから、病はグスタフの逞しい体を確実に蝕んでいたのだろう。
 その病がグスタフにどのような苦痛を与えていたのか知りようもないが、愛する者のために残り少ない自分の命を犠牲にしたグスタフの思いは理解出来た。
 フィヨルムも氷の儀式の代償により、こうしている今も命を削られている状態である。
 いつ尽きるか分からない命を無駄に終わらせるぐらいなら、大切な者のために使いたい。
 それが出来たグスタフは、ヘンリエッテが言ったとおり幸せだっただろう。
 グスタフと同じ身にあるフィヨルムだからこそ、痛いほどそれが分かる。
「けほっ……」
 小さな咳をひとつし、いつ止まるか分からない胸を押さえるフィヨルムに声をかける者がいた。
「エクラ様」
 白いロングコートに目深に被ったフード。特務機関の召喚師エクラだ。
 エクラはサンドイッチが盛られたトレイを持っていた。
 これを王宮の書庫で死の国とヘルに関する文献がないか調べているアルフォンスとシャロンに持っていくつもりだったのだが、アンナと王宮騎士団の団長から呼び出され行けなくなったため、代わりに持っていってほしい。
 エクラにそう頼まれ、フィヨルムはトレイを受けとる。
「分かりました。お任せください」
 頼んだよと言って踵を返したエクラの背中を見送ると、フィヨルムは王宮の書庫へと向かっていった。

「失礼します」
 フィヨルムが書庫の扉を開けると、薄明かりの中本を広げ、そこに書かれた文字を熱心に追っていたアルフォンスが顔をあげた。
「フィヨルム王女。どうしたんだい」
「エクラ様に頼まれ、差し入れを持ってきました。あの……シャロン王女はどちらに?」
 エクラの言葉ではシャロンも書庫にいるはずだが、その姿はどこにも見当たらない。
「シャロンだったらあそこだよ」
 フィヨルムの問いに、アルフォンスが声を潜めて書庫の奥を指差す。
 書庫の奥には長椅子があり、そこにはアルフォンスのマントを掛けられ体を横にしているシャロンの姿があった。
「シャロン王女……」
 こんなところで眠っては風邪を引いてしまう。
 フィヨルムは思わずシャロンを起こそうとしたが、アルフォンスがそれを止めた。
「ごめん。シャロンはこのままにしておいてくれないかな。今日はいろいろあったから……」
「あっ……」
 アルフォンスの言葉に、フィヨルムが申し訳なさそうな顔をする。
 シャロンは父を失ったばかりなのだ。
「お父様……」と呟き睫毛を濡らすシャロンを起こすことは出来なかった。
「ありがとう。夜食は後で食べるから、そこの机に置いておいて」
「はい」
 アルフォンスにそう言われ、フィヨルムはシャロンを起こさないよう静かに歩き、そっとトレイを机の上に置く。
 そして少し顔を伏せ、アルフォンスにこう言った。
「……アルフォンス王子はご立派ですね」
「立派? 僕がかい?」
 フィヨルムの言葉にアルフォンスは首を傾げる。
 自分は立派だと言われるようなことをしているつもりはない。
 アルフォンスはそう思っているのだが、フィヨルムは違っていた。
「はい。アルフォンス王子は、ご家族を目の前で奪われても取り乱すことはありませんでした。
 私などは、怒りで我を忘れてしまったというのに……」
 グスタフの命がヘルに奪われても、アルフォンスは動揺しつつも冷静さを決して失わず、態勢を建て直すために城への帰還を優先した。
 姉のスリーズがスルトの手で殺された時、冷静さを欠き無茶な突撃をしようとした自分とは大違いだ。これが王の器というものなのだろう。
「もしもあの時アルフォンス王子が私を止めてくれなければ、私は今ここにいないでしょう。
 アルフォンス王子は私と同じように家族を奪われたというのに、私のようにはならなかった。ご立派です」
 フィヨルムの言葉に、アルフォンスが軽く笑って返す。
「立派だなんて……そんなことはないよ。
 僕と君とでは状況が違う。
 君はあの時。国も家族もすべて失っている状態だった。生きているのが分かっているのもスリーズ王女だけだった。
 スリーズ王女だけが、あの時の君の生きる希望だったんだ。
 それを理不尽な暴力で奪われた。誰だって我を忘れるさ。
 でも僕は違った。
 国もあれば母上もシャロンもいる。アンナ隊長やエクラ。特務機関の仲間がいる。
 僕が立派に見えているのなら、それは支えになってくれている存在があるからだ」
「アルフォンス王子……」
 驕らず謙虚で、どのような状況でも周囲への感謝の念を忘れない。そういうところを立派だと言うのだ。
「でも、いきなりそんなことを言うなんてどうしたんだい。
 もしかして、誰かが僕のことを悪く言ってたから気遣ってくれているとか?」
「!!」
 アルフォンスの言葉に、フィヨルムが思わず飛び上がる。
 そのとおりだった。
 ここに来るまでの間に、フィヨルムは王国騎士団の団員が国王陛下が死んだのはアルフォンス王子のせいだと口にしているのを聞いてしまったのだ。
「そ、そのようなことはありません!!」
 フィヨルムは嘘をつけない性格だ。
 必死に言葉を繕おうとするフィヨルムの姿を見て、アルフォンスは自分の言葉のとおりであることを悟ってしまった。
「隠さなくていいよ。僕もメイドが話していたのを聞いたからね。
 お父上が殺されたというのに涙ひとつ流さないなんて、王子はなんて冷たいんだって」
「冷たい……?」
 アルフォンスが冷たいというその言葉に、フィヨルムは驚きを隠せない。
 冷たいという言葉は、太陽のような優しさを持つアルフォンスからはほど遠い言葉だ。
「そんな言葉に耳を貸さないでください!
 アルフォンス王子は冷たくなどない……優しいお方です!!」
「ありがとう。でも、涙を流していないのは事実だからね。冷たいと思われても仕方ないよ」
 そう言ってアルフォンスは自嘲するかのような笑みを浮かべる。
 その寂しげな顔に、フィヨルムは思わずこう訊いてしまった。
「もしかして、泣けないのですか……?」
 この世には、背負うものの大きさから涙を流せない者がいる。兄のフリーズがそうだった。
 フリーズはニフルの武の象徴だった。
 この強く雄々しき氷の王子がいる限り、ニフルの平和は守られ続ける。暴虐な炎の王の侵略にも負けることはない。
 そう民から信じられていたフリーズにとって、涙は決して見せてはならないものだった。
 なのでアルフォンスもそうなのかとフィヨルムは考えたのだが、アルフォンスが涙を流さない理由はそれとは別のものだった。

「泣けないじゃなくて、泣かないんだ」

 アルフォンスはそう言って、書の頁をめくりながら淡々とその理由を語っていく。
「王はすべての民に平等でなければならない。
 一人の民の死に涙を流すことがあってはならない。
 一人のために涙を流したら、他の民の死にも涙を流さなければならない。
 そうなったら、王はいつまでも泣き続けていなければならなくなる。だから涙を流してはならない。
 父上にそう教えられたんだ……」
「王子……」
 父の教えに従い、アルフォンスは涙を流すことを耐えていたのだ。
「ですが、グスタフ陛下はアルフォンス王子のお父上です。お父上のためなら涙を流しても……」
 家族のために流す涙ならば許されるのでは。フィヨルムはそう言うが、アルフォンスは寂しげに微笑みながら首を振る。
「それでも駄目だよ。父上だったら、たとえ父であれ、お前がアスクの王になる限り特別扱いをするなと言われるだろうからね」
 グスタフは息子にも自分にも厳しかった。
 そんなグスタフが、次の王になろうとしている息子から特別な扱いを受けることを望むはずがない。
(王になるということは、こんなにも厳しいことなのですね……)
 泣きたい時に泣けない。泣かない。
 王になるとはこういうことなのかと思うフィヨルムに、アルフォンスが言う。
「僕は今は泣かない。明日もきっと泣かないと思う。
 それでもいつか、泣いてしまう時が来ると思うんだ。その時は、フィヨルム王女……」
「なんでしょう」
 真剣な表情で自分を見つめてくるアルフォンスに、フィヨルムが思わず背筋を正す。
 アルフォンスは真っ直ぐフィヨルムを見据え、一切迷いの無い声でこう言った。

「君の力で、僕の涙を凍らせてほしい」
「アルフォンス王子……?!」

 流れる涙を凍らせてほしいと、アルフォンスはフィヨルムに言った。
 王として涙を流さないために、無理矢理にでも止めてほしいと……。
「それは……」
 王としての責任を全うしようとするアルフォンスの覚悟を受け入れたい。
 もしも自分がニフルの女王の位に就いていたら、アルフォンスが願ったことを自分自身にしていただろう。

――フィヨルム……。今から教えることを忘れないでね。

 しかしフィヨルムは、アルフォンスの言葉に頷くことが出来なかった。
 記憶の奥底から響く懐かしい声が、フィヨルムにそれを許さなかった。
「申し訳ありません。私にはそれは出来ません。
 王子がグスタフ陛下から教えを受けたように、私も姉から教えられたのです。
 ニフルの女は、愛する者の涙を凍らせてはならないと……」
 懐かしい声の主は、今は亡き姉のスリーズのものだった。
 ムスペルとの戦いが始まる少し前に姉から言われた教えを、フィヨルムはアルフォンスに話していく。
「ニフルの女の肌は冷たい。でも、愛する者の涙まで凍らせてはならない。
 凍る涙も溶かす温もりを、常に胸に抱いていなさい。姉は私に、そう教えてくれました……」
(そうだ。思い出した……)
 スリーズの教えを思い出すと同時に、フィヨルムはある光景を思い出した。

 ムスペルとの戦いが続いていたある夜。
 天幕の中で、双子の妹の胸に顔を埋め、肩を震わせていたフリーズと、慈愛に満ちた微笑みを浮かべ兄の頭を撫でていたスリーズの姿を……。
 あの時フリーズは、スリーズの胸の中で泣いていたのだ。
 王子としての責任の重さから凍らせていたフリーズの涙を、姉はその温もりで溶かし、流させていたのだ。

「私は氷竜ニフルの加護を受けたニフルの王女である以前に、ニフルの女です。
 ニフルの女として、愛する人の涙は凍らせるのではなく溶かしたい。
 だから、王子の願いを聞き入れることは出来ません」
「フィヨルム王女……」
 そう言いきったフィヨルムを、アルフォンスは目を丸くして見つめていた。
(何かおかしなことを言ってしまったのでしょうか)
 驚いているようなアルフォンスの表情に、フィヨルムは戸惑いを隠せない。
 フィヨルムがそうしていると、アルフォンスは目を細め、「愛する人。か……」と小さく呟き、フフっと微笑む。
 それは先程までの寂しげな笑顔と違う、優しいアルフォンスらしい穏やかなもので、フィヨルムの胸は思わず高鳴る。
 はやる鼓動を抑えるかのように、無意識に胸に手を置いたフィヨルムにアルフォンスが言う。
「そうだね。流れる涙を無理に止めたって意味がないんだ。
 涙を流さなくても、心は泣いているんだから……。
 フィヨルム王女。君への頼みを変えたいんだけど、良いかな?」
「どのようなものでしょう」
 アルフォンスが本を閉じ、胸の前に置かれたフィヨルムの手に自分の手を触れて、新たな願いを告げる。
「これから先、僕が泣きそうになった時。
 君のお姉さんの教えに甘えさせてくれないか……」
 アルフォンスの願いに、フィヨルムは今度は深く頷く。
「はい。そういうことでしたら喜んで」
 この人の涙を凍らせないために、私は生きる。
 そう誓うフィヨルムの胸は、強く動いていた。