Echoesのベルクト×リネア連続小説。
ベルリネ記憶の欠片前後を想像した話で、今回はリネアの話になります。
ベルリネ記憶の欠片前後を想像した話で、今回はリネアの話になります。
【出会いの一夜の物語~リネア編】
リネアのもとに舞踏会の招待状が届いたのは、出会いの一夜から一ヶ月ほど前のことだった。
「うちにリゲル城で催される舞踏会の招待状が来るなんて、珍しいことね」
娘宛に届いた招待状を見たリネアの母が第一に言った言葉はそれだった。
リネアの生家は貴族階級についているが、地位はさほど高くなく、財産も多い方ではない。
領地は帝都から遠く離れた地方で、のどかな風景ぐらいしか自慢出来るものがない、典型的な田舎貴族だ。
そんな田舎の貴族に、華やかな帝都の城から舞踏会の招待状が送られてくることなど、彼女がこの家に嫁いできてから一度もなかった。
「ベルクト王子の誕生日を祝う舞踏会らしいから……そういうことなんだろうね」
「ああ。そういうことね」
夫の言う『そういうこと』の意味を察した妻が、軽く頷く。
娘のリネアとベルクトは同じ年頃だ。
ベルクトと同じ年頃の娘を舞踏会に招待するということは、ベルクトにこの舞踏会で未来の花嫁を探してもらうという目的があるのだろう。
位の低い家の娘であるリネアにまで招待状が届いている理由など、それぐらいしか浮かばない。
「それで。リネアを舞踏会に行かせるのですか?
あの子が行きたがるとは思いませんが」
舞踏会の招待状が来たと行っても、必ず行かないといけないわけではない。
行かないという選択肢もちゃんと用意されている。
大人しいリネアが、華やかな帝都の舞踏会に行きたがるとは思えない。
母親の方はそう思うのだが、父親の方は娘の考えを先回りして出すことはしなかった。
「リネアに選ばせよう。これはリネア宛に届いた招待状なんだからね」
そう言って、父親はリネアを居間に連れてくるよう使用人に命じた。
リネアが居間に来ると、父親はさっそく舞踏会の件を娘に伝えた。
「えっ……? 私宛に舞踏会の招待状が?」
「ああ。ベルクト王子の誕生祝いの舞踏会らしい」
「ベルクト様のお誕生日……。そんな大切な舞踏会の招待状が私に……」
父から招待状の話を聞き、リネアはまずきょとんとした驚きの表情を浮かべ、次に顔を綻ばせた。
その笑顔はまるで花が咲くように愛らしく可憐で、それを見ただけで、リネアが舞踏会の誘いを心から喜んでいることが分かる。
「舞踏会に行きたいかい?」
聞くまでもない質問を、父が娘にする。
「はい……」
頬をうっすら赤く染めながら、リネアは小さく頷く。
リネアの返事を聞き、父はにこりと微笑んだ。
「わかった。ではドレスを用意しよう」
リネアは大人しい娘で、人が多く集まるような場所へ好んで行きたがる性格ではない。
そのような性格のリネアが、自ら進んで舞踏会に行きたいと言ったことを、父親は嬉しく思っていた。
隣に立つ母は、溺愛している娘に舞踏会で悪い虫が付きはしないかと懸念し、娘に舞踏会の招待状が届いたことを教えた夫にムスッとした顔を見せているが。
(そんな顔をしてくれるな。
リネアの美貌を知るのが森の花と小鳥だけというのは、勿体ないだろう)
親の欲目を抜きにしてもリネアは美しい娘だと父親は考えている。
しかし、このリゲル帝国でリネアの美しさを知る者は、屋敷の裏の小さな森に咲く花と、そこで唄う小鳥ぐらい。
娘がこのままリゲルの片田舎で咲く小さな花のままで終わってしまうのはあまりに勿体ない。
花は誰かに愛でられてこその花なのだ。
(良い人と出会えればいいが)
この舞踏会で、花を愛でるようにリネアを愛してくれる貴公子がリネアの前に現れないものか。
父親はそう願っていた。
父との話が終わり、自室に戻ったリネアは、まず机の引き出しを開けた。
きちんと整えられた引き出しの中には、小さな額縁に収まった木版画があり、リネアはそれを取り出すと、優しくそっと抱き締める。
「ベルクト様……」
その木版画には、ベルクトの姿が描かれていた。
ベルクトの姿が描かれたこの木版画は、屋敷に出入りする行商人から両親に内緒で買った、リネアの大切な宝物だ。
ベルクト本人と会ったことはないが、帝都から遠く離れた地方に住むリネアのもとにも、リゲルの王子の噂話は届く。
黒髪に黒い鎧の凛々しい顔立ち。
十五で軍に入ってからは数々の武勲を立て、次代の皇帝とも噂される才に溢れたリゲルの王子。
そんなベルクトにリゲルの娘達はみな憧れ、リネアも他の娘たちと同じようにベルクトに対し憧れの想いを抱いていた。
(ベルクト様にお会いできる……)
会うことも叶わないと思っていた憧れの王子様に、もうすぐ会える。
その事実だけで、リネアの心臓ははちきれんばかりに高鳴っていた。
(一緒に踊れなくても良い。お話ができなくても良い。
一目ベルクト様のお姿を見ることができたら、私はそれで……)
ベルクトの誕生日を祝う舞踏会に招待されたというのに、リネアは多くを望まなかった。
この目でベルクトの勇姿を見られれば、リネアはそれで充分なのだ。
(でも、叶うことなら……お誕生日おめでとうございますと、一言だけでも……)
ふと浮かんだ願いも、その程度のものだった……。
一ヶ月後。リネアはリゲル城を訪れていた。
「大きなお城……」
初めて見るリゲル城は、リネアの屋敷とは比べ物にならないほど巨大だった。
「広さだけならソフィアのお城の方が大きいそうですよ」
領地から城まで共に付き添ってきてくれた侍女が、リネアにそう言う。
「そうなの? リゲル城よりも大きなお城があるなんて、想像できないわ……」
侍女の話を聞いたリネアは、ポカンとした様子でため息をついた。
リゲル城だけでも小さな山ぐらいありそなのに、それ以上の広さを持つ城がこの世にあるとは。
狭い世界しか知らないリネアには、到底想像できるものではなかった。
「こんな立派なお城で開かれる舞踏会に、私のような者が混ざっても良いのかしら……」
リゲル城から放たれる威圧感に、リネアはすっかり圧倒されてしまっていた。
舞踏会の招待状を持つ指が、かすかに震え始めている。
「良いに決まっているではありませんか。
お嬢様はとても美しいんですもの。皆さんきっと踊りたがるはずですよ」
「美しいだなんて、そんな……大袈裟よ」
自信満々にそう言ってきた侍女に対し、リネアが慎ましげな態度を見せる。
それを見た侍女は、心の中で頭を抱えた。
(はぁ……お嬢様はご自分の美しさにまったく気づいていないんだから)
侍女がリネアを美しいと言ったのは、お世辞でもなんでもない。
一目見たら誰もがリネアを愛さずにはいられない。
リネアはそれぐらい美しいと侍女は思っている。
それなのにリネアは、自分が群を抜いて美しい顔立ちをしていることに気づいていない。
(けれど周りは、お嬢様の美しさにちゃんと気がつくはずよ)
リネアが自身の美しさに気づいていなくても、周りが気づけばそれで良いのだ。
貴公子達は皆こぞってリネアを踊りに誘うだろう。
それがきっかけでリネアが自分に自信を持てるようになれば、リネアの美しさを知る者として、これ以上ない幸せだ。
「さあ、お嬢様。楽しんでらっしゃいませ」
舞踏会が開かれる広間へ行けるのは、招待状を受け取ったリネアだけ。
供の侍女は控えの間で舞踏会が終わるまで待つことになっている。
「ありがとう……では、行ってきます」
及び腰になっていた自分を励ましてくれた侍女に小さく微笑み、リネアは広間へ向かって行った。
リネアの微笑みを間近で見た侍女が、ほうっと感嘆のため息をつく。
(本当に可愛らしいお方……。
お嬢様の微笑みに、何人の貴公子が恋をするのかしら)
リネアの愛らしさに、侍女はそう思わずにはいられなかった。
こんなに大きくする必要はあるのだろうか。
そう思わずにはいられないほど巨大な扉を開けると、中にはリネアが見たこともないような華やかな世界が広がっていた。
「まあ……」
色とりどりのドレスを纏った令嬢達に、優雅な仕草で彼女らに話しかける貴公子。
楽の音は彼女らの会話を遮ること無く奏でられながらも、手を抜いているような様子は一切感じられず、一つ一つの音を丁寧に奏でている。
広間を照らすシャンデリアはまるで夜空の星を閉じ込めたように明るく煌めいていて、広間のすべてを照らしていた。
(すごいわ……こんな場所がこの世界にあるなんて、信じられない……)
リネアの屋敷にも広間はあるし、ジャンデリアもある。
けれどリゲル城の広間と比べたら屋敷の広間は広間なんて言えないぐらいに小さく、シャンデリアもガラス玉のようなものだ。
(これがリゲル城の舞踏会……)
空気までもが宝石のようにきらめいているその世界を、リネアはキョロキョロと見回さずにはいられなかった。
そうしているリネアの耳に、令嬢達の小さな笑い声が聞こえてくる。
(何か楽しいことでもあったのかしら)
声の方に顔を向けると、令嬢達はこちらを見てクスクスと笑っていた。
訳がわからずリネアがまたキョロキョロと辺りを見渡すと、笑いはまた大きくなる。
(私……何かおかしなことをしているの?)
小さな不安がリネアの胸に生まれ、そしてそれが杞憂ではないことを背後から聞こえてきた声が教えてくれた。
(やだ。なあに、あの古くさいドレス)
(舞踏会を野遊びと間違えているのかしら)
(花の髪飾りなんてダサいわね。もっと良いアクセサリーは持っていないのかしら)
「えっ……!?」
彼女達は、リネアの姿を見て笑っていたのだ。
ヒソヒソと交わされる嘲笑の声に、リネアの笑顔が曇り始める。
(この格好はおかしいの……?)
リネアが纏っているドレスは、祖母の形見のドレスを直したものだ。
豪華ではないけれど落ち着いた色合いがとても素敵で、子供の頃から憧れていたドレスだ。
それを古くさいと言われるなんて、思ってもみないことだった。
花の髪飾りも誕生日に父が買ってくれた大切なもので、とても似合っていると屋敷の皆が言ってくれていた。
これ以上に良い装飾品など、自分には想像できない。
一度聞こえてしまった嘲笑の声は、聞きたくないのに耳に入ってきてしまう。
(服装を見ただけでわかるわ。あの子の家柄……)
(取るにも足らないお家でしょうね。あんな子をダンスに誘う方などいるのかしら)
(私があの子の立場だったら、誘われても断りますわ。
身分の釣り合わない家の娘と踊らせたら、相手の方に恥をかかせてしまうことになりますもの)
(むしろ舞踏会に来ること自体、遠慮すべきことよね。
ここは格が低いお家の方が来て良い場所ではないのよ)
「っ……!!」
令嬢達の嘲笑に耐えきれなくなったリネアは、思わずその場から逃げ出した。
背後からはまだクスクスという冷たい笑い声が聞こえてきている。
(私は……私は……!!)
広間に入る前までの高揚感はすっかり消え、今のリネアの心の中に渦巻いているのは後悔の思いだけになっていた。
(私はどうして舞踏会に来てしまったの……?
私はこの場所にふさわしくないのに……どうしてそれを分かっていなかったの?)
彼女達が悪くない。
悪いのは、この場にふさわしい身分を持たないのに、招待状が届いたからといって何も考えずに舞踏会に来てしまった自分だ。
「うっ……ううっ……!」
自分の浅はかさに涙を流しながら、リネアは広間とは逆の方向に駆けて行く。
それでもワルツの音はどこまでもリネアを追いかけてきて、その音色の隙間に聞こえるはずのない嘲笑の声を感じてしまう。
「うっ……はぁっ……」
ワルツの音色から逃げるのを諦めたリネアは、回廊の片隅にそびえる柱の陰に身を隠し、そこで頬を伝う涙を拭う。
しかし涙は後から後から溢れてきて、止めようとしても止められない。
涙が一粒流れるたびに、広間でささやかれた言葉を思いだし、また新しい涙が溢れてしまう。
もう自分の力では、この涙は止められない。
(お願い……誰か……)
この涙を止めて。
リネアがそう思った時、背後から声が聞こえた。
「お前。そこで何をしている」
「えっ……?」
振り向くとすぐ近くに、遠い存在であるはずのリゲルの王子の姿があった……。
リネアのもとに舞踏会の招待状が届いたのは、出会いの一夜から一ヶ月ほど前のことだった。
「うちにリゲル城で催される舞踏会の招待状が来るなんて、珍しいことね」
娘宛に届いた招待状を見たリネアの母が第一に言った言葉はそれだった。
リネアの生家は貴族階級についているが、地位はさほど高くなく、財産も多い方ではない。
領地は帝都から遠く離れた地方で、のどかな風景ぐらいしか自慢出来るものがない、典型的な田舎貴族だ。
そんな田舎の貴族に、華やかな帝都の城から舞踏会の招待状が送られてくることなど、彼女がこの家に嫁いできてから一度もなかった。
「ベルクト王子の誕生日を祝う舞踏会らしいから……そういうことなんだろうね」
「ああ。そういうことね」
夫の言う『そういうこと』の意味を察した妻が、軽く頷く。
娘のリネアとベルクトは同じ年頃だ。
ベルクトと同じ年頃の娘を舞踏会に招待するということは、ベルクトにこの舞踏会で未来の花嫁を探してもらうという目的があるのだろう。
位の低い家の娘であるリネアにまで招待状が届いている理由など、それぐらいしか浮かばない。
「それで。リネアを舞踏会に行かせるのですか?
あの子が行きたがるとは思いませんが」
舞踏会の招待状が来たと行っても、必ず行かないといけないわけではない。
行かないという選択肢もちゃんと用意されている。
大人しいリネアが、華やかな帝都の舞踏会に行きたがるとは思えない。
母親の方はそう思うのだが、父親の方は娘の考えを先回りして出すことはしなかった。
「リネアに選ばせよう。これはリネア宛に届いた招待状なんだからね」
そう言って、父親はリネアを居間に連れてくるよう使用人に命じた。
リネアが居間に来ると、父親はさっそく舞踏会の件を娘に伝えた。
「えっ……? 私宛に舞踏会の招待状が?」
「ああ。ベルクト王子の誕生祝いの舞踏会らしい」
「ベルクト様のお誕生日……。そんな大切な舞踏会の招待状が私に……」
父から招待状の話を聞き、リネアはまずきょとんとした驚きの表情を浮かべ、次に顔を綻ばせた。
その笑顔はまるで花が咲くように愛らしく可憐で、それを見ただけで、リネアが舞踏会の誘いを心から喜んでいることが分かる。
「舞踏会に行きたいかい?」
聞くまでもない質問を、父が娘にする。
「はい……」
頬をうっすら赤く染めながら、リネアは小さく頷く。
リネアの返事を聞き、父はにこりと微笑んだ。
「わかった。ではドレスを用意しよう」
リネアは大人しい娘で、人が多く集まるような場所へ好んで行きたがる性格ではない。
そのような性格のリネアが、自ら進んで舞踏会に行きたいと言ったことを、父親は嬉しく思っていた。
隣に立つ母は、溺愛している娘に舞踏会で悪い虫が付きはしないかと懸念し、娘に舞踏会の招待状が届いたことを教えた夫にムスッとした顔を見せているが。
(そんな顔をしてくれるな。
リネアの美貌を知るのが森の花と小鳥だけというのは、勿体ないだろう)
親の欲目を抜きにしてもリネアは美しい娘だと父親は考えている。
しかし、このリゲル帝国でリネアの美しさを知る者は、屋敷の裏の小さな森に咲く花と、そこで唄う小鳥ぐらい。
娘がこのままリゲルの片田舎で咲く小さな花のままで終わってしまうのはあまりに勿体ない。
花は誰かに愛でられてこその花なのだ。
(良い人と出会えればいいが)
この舞踏会で、花を愛でるようにリネアを愛してくれる貴公子がリネアの前に現れないものか。
父親はそう願っていた。
父との話が終わり、自室に戻ったリネアは、まず机の引き出しを開けた。
きちんと整えられた引き出しの中には、小さな額縁に収まった木版画があり、リネアはそれを取り出すと、優しくそっと抱き締める。
「ベルクト様……」
その木版画には、ベルクトの姿が描かれていた。
ベルクトの姿が描かれたこの木版画は、屋敷に出入りする行商人から両親に内緒で買った、リネアの大切な宝物だ。
ベルクト本人と会ったことはないが、帝都から遠く離れた地方に住むリネアのもとにも、リゲルの王子の噂話は届く。
黒髪に黒い鎧の凛々しい顔立ち。
十五で軍に入ってからは数々の武勲を立て、次代の皇帝とも噂される才に溢れたリゲルの王子。
そんなベルクトにリゲルの娘達はみな憧れ、リネアも他の娘たちと同じようにベルクトに対し憧れの想いを抱いていた。
(ベルクト様にお会いできる……)
会うことも叶わないと思っていた憧れの王子様に、もうすぐ会える。
その事実だけで、リネアの心臓ははちきれんばかりに高鳴っていた。
(一緒に踊れなくても良い。お話ができなくても良い。
一目ベルクト様のお姿を見ることができたら、私はそれで……)
ベルクトの誕生日を祝う舞踏会に招待されたというのに、リネアは多くを望まなかった。
この目でベルクトの勇姿を見られれば、リネアはそれで充分なのだ。
(でも、叶うことなら……お誕生日おめでとうございますと、一言だけでも……)
ふと浮かんだ願いも、その程度のものだった……。
一ヶ月後。リネアはリゲル城を訪れていた。
「大きなお城……」
初めて見るリゲル城は、リネアの屋敷とは比べ物にならないほど巨大だった。
「広さだけならソフィアのお城の方が大きいそうですよ」
領地から城まで共に付き添ってきてくれた侍女が、リネアにそう言う。
「そうなの? リゲル城よりも大きなお城があるなんて、想像できないわ……」
侍女の話を聞いたリネアは、ポカンとした様子でため息をついた。
リゲル城だけでも小さな山ぐらいありそなのに、それ以上の広さを持つ城がこの世にあるとは。
狭い世界しか知らないリネアには、到底想像できるものではなかった。
「こんな立派なお城で開かれる舞踏会に、私のような者が混ざっても良いのかしら……」
リゲル城から放たれる威圧感に、リネアはすっかり圧倒されてしまっていた。
舞踏会の招待状を持つ指が、かすかに震え始めている。
「良いに決まっているではありませんか。
お嬢様はとても美しいんですもの。皆さんきっと踊りたがるはずですよ」
「美しいだなんて、そんな……大袈裟よ」
自信満々にそう言ってきた侍女に対し、リネアが慎ましげな態度を見せる。
それを見た侍女は、心の中で頭を抱えた。
(はぁ……お嬢様はご自分の美しさにまったく気づいていないんだから)
侍女がリネアを美しいと言ったのは、お世辞でもなんでもない。
一目見たら誰もがリネアを愛さずにはいられない。
リネアはそれぐらい美しいと侍女は思っている。
それなのにリネアは、自分が群を抜いて美しい顔立ちをしていることに気づいていない。
(けれど周りは、お嬢様の美しさにちゃんと気がつくはずよ)
リネアが自身の美しさに気づいていなくても、周りが気づけばそれで良いのだ。
貴公子達は皆こぞってリネアを踊りに誘うだろう。
それがきっかけでリネアが自分に自信を持てるようになれば、リネアの美しさを知る者として、これ以上ない幸せだ。
「さあ、お嬢様。楽しんでらっしゃいませ」
舞踏会が開かれる広間へ行けるのは、招待状を受け取ったリネアだけ。
供の侍女は控えの間で舞踏会が終わるまで待つことになっている。
「ありがとう……では、行ってきます」
及び腰になっていた自分を励ましてくれた侍女に小さく微笑み、リネアは広間へ向かって行った。
リネアの微笑みを間近で見た侍女が、ほうっと感嘆のため息をつく。
(本当に可愛らしいお方……。
お嬢様の微笑みに、何人の貴公子が恋をするのかしら)
リネアの愛らしさに、侍女はそう思わずにはいられなかった。
こんなに大きくする必要はあるのだろうか。
そう思わずにはいられないほど巨大な扉を開けると、中にはリネアが見たこともないような華やかな世界が広がっていた。
「まあ……」
色とりどりのドレスを纏った令嬢達に、優雅な仕草で彼女らに話しかける貴公子。
楽の音は彼女らの会話を遮ること無く奏でられながらも、手を抜いているような様子は一切感じられず、一つ一つの音を丁寧に奏でている。
広間を照らすシャンデリアはまるで夜空の星を閉じ込めたように明るく煌めいていて、広間のすべてを照らしていた。
(すごいわ……こんな場所がこの世界にあるなんて、信じられない……)
リネアの屋敷にも広間はあるし、ジャンデリアもある。
けれどリゲル城の広間と比べたら屋敷の広間は広間なんて言えないぐらいに小さく、シャンデリアもガラス玉のようなものだ。
(これがリゲル城の舞踏会……)
空気までもが宝石のようにきらめいているその世界を、リネアはキョロキョロと見回さずにはいられなかった。
そうしているリネアの耳に、令嬢達の小さな笑い声が聞こえてくる。
(何か楽しいことでもあったのかしら)
声の方に顔を向けると、令嬢達はこちらを見てクスクスと笑っていた。
訳がわからずリネアがまたキョロキョロと辺りを見渡すと、笑いはまた大きくなる。
(私……何かおかしなことをしているの?)
小さな不安がリネアの胸に生まれ、そしてそれが杞憂ではないことを背後から聞こえてきた声が教えてくれた。
(やだ。なあに、あの古くさいドレス)
(舞踏会を野遊びと間違えているのかしら)
(花の髪飾りなんてダサいわね。もっと良いアクセサリーは持っていないのかしら)
「えっ……!?」
彼女達は、リネアの姿を見て笑っていたのだ。
ヒソヒソと交わされる嘲笑の声に、リネアの笑顔が曇り始める。
(この格好はおかしいの……?)
リネアが纏っているドレスは、祖母の形見のドレスを直したものだ。
豪華ではないけれど落ち着いた色合いがとても素敵で、子供の頃から憧れていたドレスだ。
それを古くさいと言われるなんて、思ってもみないことだった。
花の髪飾りも誕生日に父が買ってくれた大切なもので、とても似合っていると屋敷の皆が言ってくれていた。
これ以上に良い装飾品など、自分には想像できない。
一度聞こえてしまった嘲笑の声は、聞きたくないのに耳に入ってきてしまう。
(服装を見ただけでわかるわ。あの子の家柄……)
(取るにも足らないお家でしょうね。あんな子をダンスに誘う方などいるのかしら)
(私があの子の立場だったら、誘われても断りますわ。
身分の釣り合わない家の娘と踊らせたら、相手の方に恥をかかせてしまうことになりますもの)
(むしろ舞踏会に来ること自体、遠慮すべきことよね。
ここは格が低いお家の方が来て良い場所ではないのよ)
「っ……!!」
令嬢達の嘲笑に耐えきれなくなったリネアは、思わずその場から逃げ出した。
背後からはまだクスクスという冷たい笑い声が聞こえてきている。
(私は……私は……!!)
広間に入る前までの高揚感はすっかり消え、今のリネアの心の中に渦巻いているのは後悔の思いだけになっていた。
(私はどうして舞踏会に来てしまったの……?
私はこの場所にふさわしくないのに……どうしてそれを分かっていなかったの?)
彼女達が悪くない。
悪いのは、この場にふさわしい身分を持たないのに、招待状が届いたからといって何も考えずに舞踏会に来てしまった自分だ。
「うっ……ううっ……!」
自分の浅はかさに涙を流しながら、リネアは広間とは逆の方向に駆けて行く。
それでもワルツの音はどこまでもリネアを追いかけてきて、その音色の隙間に聞こえるはずのない嘲笑の声を感じてしまう。
「うっ……はぁっ……」
ワルツの音色から逃げるのを諦めたリネアは、回廊の片隅にそびえる柱の陰に身を隠し、そこで頬を伝う涙を拭う。
しかし涙は後から後から溢れてきて、止めようとしても止められない。
涙が一粒流れるたびに、広間でささやかれた言葉を思いだし、また新しい涙が溢れてしまう。
もう自分の力では、この涙は止められない。
(お願い……誰か……)
この涙を止めて。
リネアがそう思った時、背後から声が聞こえた。
「お前。そこで何をしている」
「えっ……?」
振り向くとすぐ近くに、遠い存在であるはずのリゲルの王子の姿があった……。